April 04, 2005

うば捨て

喉の詰まった夢を見たとき、おばあちゃんを思い出した、と前回書いた。

で,今日又おばあちゃんを思い出したので、書いておこう。


思い出したきっかけは、下の娘が「姥捨て山」を読んでいたことだ。


わたしの死んだおばあちゃんは、死ぬ前の10年位を老人ホームで過ごした。

ボケがはじまったおばあちゃんを、母が老人ホームに入れたのだ。


入所して数年の間、わたしが母と一緒にお見舞いにいくと帰り際になっていつも、

おばあちゃんは自分も一緒に帰ろうとして大暴れをした。


母はそれを全く異に介さず無視していて、

結局最後には決まって逃げるように帰ってきてしまうのが常だったのだが、

おばあちゃんはいつも帰っていくわたしたちに向かって、

「ちょっと!なんであたしを置いていくの?!

ちょっと待ちなさいよ!ほれ!あんたたち!

どこいくの?!ほれ!!どこいくのぉーーーーっ!!」

と、後ろから後を追いながらずっと叫び続けていた。


暴れて,取り押さえられながら、吠えるみたいに叫び続けていた。



廊下に響き渡るおばあちゃんの恨みがましい悲痛な叫び声。

後味わるい、いやーな気分.........。



わたしは、行くと必ず起こるその事態がとてもたまらなくて、

お見舞いに行くのがだんだん気が重く、そして足遠くなっていってしまった。



毎回毎回、ウバ捨てをしているみたいで、心はどんより重かった。



でも母は、そんなの一向に気にしていないみたいだった。

母は、「おばあちゃんはボケで錯乱してるから意味なく騒いでるだけで、
気にする必要なんて全くないの.
いちいちまともにとるだけ無駄!」
みたいなことを言って、全然意に介してはいなかった。。

でもわたしには、おばあちゃんがほんとにうちに帰りたがっているようにしか

どうしたって思えなくて、

とてもとても、やりきれなかった。


毎回毎回,

何回も見捨てられ,

置き去りにされる気分を繰り返し味わってるおばあちゃんが、

切なくて心が痛かった。



結局、おばあちゃんはその後どんどんボケが進み

最後にはわたしのことも忘れて植物みたいな状態になり、

それでかなり長生きして、静かに最期を迎えた。



今でも、そのときのおばあちゃんの叫び声を思い出すと、

こころがきゅうんと痛くなる。


元気だった頃のなつかしい記憶もあるはずなのに、

つらそうなときのおばあちゃんばかり、なぜか続けて思い出してしまった。




おばあちゃんは、最後の日々の恍惚とした眠りの中で、

その尽きない夢の中で、しあわせに家族に囲まれて、おうちに帰れていたんだろうか。


みんなに囲まれて、しあわせに笑えていたんだろうか。


おばあちゃんのみていた最後のながいながい夢が、しあわせな夢だったことを、

今更ながら祈ってしまう。



お仏壇ないけど,おばあちゃんのために,お香でも炊こう、と思った。








むかし書いた、うちのおばあちゃんの話TBします!

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