声をかけたい気持ち
昨日、人と話をしてて
思い出したので、書こうと思う。
わたしの亡くなった友人の話。
自らの命を絶ってしまった友人の話。
彼は当時、わたしと同じマンションに
アルプスの少女ハイジに出てくるような
モコモコの大きな犬と一緒に住んでいた。
引っ越してきてすぐの時、
マンションの踊り場で顔を合わせ
挨拶してから顔見知りになり、
話をするようになった。
そのうち彼は、
わたしにいろんなものを
差し入れてくれるようになった。
出張が多くて週に一度は地方に行くらしくて
その地その地のおいしいモノや名産品を
おみやげに買ってきては届けてくれた。
おみやげ買うのが趣味だから
もらってくれたらうれしいんだけど..と、
いつもそんなことを言っては
照れくさそうに届けてくれた。
ある時は自分でおろしたお刺身を、
きれいな皿に盛りつけて持ってきてくれた。
そのほか、巨大なハンバーグやパスタを
作りすぎたから食べてと言っては
けっこう頻繁に持ってきてくれた。
一人分作るのはおいしくできないから
もらってくれたら嬉しい、と、
そんなことを言いながら持ってきてくれた。
そして玄関先で数分立ち話をして帰る。
わたしが風邪で熱を出しているときは、
作りたてで湯気のあがった、あったかいおじやを届けてくれた。
わたしは、でも、彼を家に招き入れることはしなかった。
彼もわたしになにかを要求することもなかった。
そんな関係がなぜかあたりまえのように半年以上続いた。
12月に入りたてのある日、
家を出ようとしたとき偶然会った彼は、
わたしに、今度一緒に食事しないか、と
初めて誘いのコトバをかけてきた。
わたしは、そうだね、と極めて表面的な返事をした。
わたしは正直この時、あ、それは困るな、と思った。
わたしは当時、他にステデイな関係の人がいたし、
彼とこれ以上の関係になることは、
全く意識していなかった。
これからはあんまりモノを持ってきてくれても
もらわないようにした方がいいのかな、と
この時ちょっと思った。
もっと早くそう気づけばよかったのかもしれないが、
わたしはそのあたり、まったく鈍く、ばかだった。
わたしはいつも、こういうとこが、
どうしようもなくばかで救いようがない。
それから2週間ほどたったクリスマス間近のある日、
わたしはなぜか、彼のことが妙に気になるよう感覚を覚えた。
気になるっていうのは、好きとかそういう気になる、じゃなくて、
なんていうなかなー、うまくいえないけれど、
様子を見に行って声をかけたいような、
なんかそんな感覚だった。
わたしは今年ずっと彼にいつももらってばかりいたので、
たまには自分の方から何かお返しに持って行こうかな、
と思いついた。
なのに次の瞬間、
わたしは彼にこの前食事に誘われたことを
思い出した。
「こういう局面で、こっちから今ヘタなコトして
へんに誤解や期待を持たせちゃっても.....」
という懸念がが沸いてきて、
わたしは自分の中にふっと沸いた、その気持ちを、
なかったものとして捨てたのだ。
わたしの中にふっと沸いた、様子を見に行きたい気持ちを、
ただの気のせい、やめよやめよ、とアタマから振り払ったのだ。
町はクリスマスイルミネーションでキラキラしてた。
その年の12月の23日、
わたしが出先から帰ってきたら、
マンションの前に
赤いランプをぐるぐると点灯させたパトカーと救急が
連なって止まっていた。
彼が自室で、首を吊って亡くなっていたのだった。
わたしはかなり動転した。
悲しいとかじゃなくて、動転した。
心臓がバクバクした。
マンションの部屋の彼の部屋のまえには
警察の人と救急隊の人がたむろしていて、
その間をぬって、彼の飼い犬が、愛想を振りまきながら
うろうろと歩き回っていた。
誰も犬の存在に意識を払う人はいないようだった。
救急車の赤いランプが、
あたりの闇を赤黒く怖い色に照らし出し、
わたしの心臓は強く苦しく波打ってた。
もう亡くなって2日ほどたっていたのだった。
いつも無断欠勤などしようのない勤勉な彼が
連絡もなく出社しないので不審に思った同僚が
大家さんに鍵を開けてもらって発見したんだという。
犬がそばにいるのに、自分を慕う犬を残して
なぜ彼は首を吊ったのだろう。
もしあの時、わたしが自分の中に起きた妙な気になる感じや
彼に何か持って行こうかなという気持ちを
自分自身のちっぽけな危惧によって抑圧せず
彼のところを訪ねて
「げんき?」とひとこと声をかけていたら、
もしかしたらこんな事態は避けられた可能性もあるんじゃないかな、と
何回も何回も考えた。
もし彼がその時なにかに悩んででいたとしたら、
あの時わたしがそこに行ったら
聞いてあげることができたかもしれないのだ。
もし彼が凹んでいたとしたら、
あの時わたしがそこ行ったら
なにかコトバをかけてあげれたかもしれないのだ。
もし彼があの時自分の存在が誰からも愛され得ないと
感じていたとしたら、
あの時わたしがそこにいたら、
あなたは世界にとって大切だよと
言ってあげれたかもしれないのだ。
でもわたしは自分の気持ちを抑圧した。
あの妙な気になる気持ちは
彼の魂が誰かの助けを求めて叫びをあげていたのを
わたしの感覚がどこかでキャッチしていたのかもしれないのに
わたしはその時
「そんなことしたら、相手がどう思うか」とか
「変に誤解されたら困るし....」とか
そんな事々を自分の中で優先させて
自分の中の「手をさしのべるべきとこだよ。」という声を
抑圧したのだ。
そんなことをぐるぐるぐるぐる、
いっぱいいっぱい考えた。
そしてもう2度と
そういう後悔は
誰に対しても味わいたくないと
その時わたしは強く思ったのだった。
あ、この人になにかしてあげたいな、という気持ちを
自分の中に感じたとき
それをブロックして抑圧させてしまうのは
「相手に変な風に誤解されるんじゃ....]とか
「自分なんかがそんなことしても....」とか
そんな々な思いだ。
わたしはそういう心配や危惧を超えて出て行けたらと思う。
もしわたしが人にしたことで
相手がわたしを「こいつ俺に気があるんじゃ....」と
ほんとに変な誤解をすることがあったとしたって
「おまえになんかしてもらわなくていいよ」と
ほんとにそう思うことがあったとしたって
そりゃあそれで、別にいいじゃん。
そういうことがあったとしても、
そうならそうで、その人は今元気に生きてるってコトだから、
別にそれでも全然いいのだ。
そんなことはいつだって、
取り上げるほどたいしたことじゃないのだ。
彼の死はわたしに、とても大きなコトを教えてくれた。
今そうしようと思ったときに、
声をかけようと思ったときに、
ただその気持ちに従ってカラダを動かさなければ
その人にそれをしてあげれる機会は
もう永遠に来ないってことだってあるのだってことだ。
声をかけようかな、と思ったときに声をかけないと
手をさしのべたいな、という気持ちが沸いたときに
手を差し出さないと、
そのことは後になってそうしたいと思っても
もう出来ないところに逝ってしまっているかもしれない。
その相手が明日も又ここに存在してるという保証は
誰にとっても、ただのひとつもない。、
そのたったひとつのことの大切さに比べたら、
それ以上に気にしなければならないことなんて
なにひとつないのだ。
それに比べたら、そんなことは何もかも、
みんなみんな些細などうでもいいことなのだ、きっと。
Posted by seapink16 at 16:00
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一昨日母親が、我が家に来た。…『あのね、泣かないで聞いてね』との言葉に『ひろくん(柴犬)が死んだの?』と老衰かと考えた瞬間
『違うの。ゴン(ダックスフント)が…』と言われた。引っ越しの時に別れは決意してた。でも、帰ればいると安心してた。
空港で抱いたのが最期
愛犬との別れ…死というもの【■映画と音楽とnanaの日記■】at July 09, 2005 18:22
貴方と出会い、貴方と生きていた瞬間があった事を
誇れる自分でいたい、
この悲しみもまた、貴方との関わりのひとつ
ありがとうそして、いつまでもありがとう
今日という日を大切に【 自由空間 〜 Norin’s Page 〜 】at August 08, 2005 06:44
そうしようと思ったときに,相手のこととか自分の体裁とか考えてしまう・・・
っていうのは,あたしにとってほんとによくあることで,
でも,結局「しないでよかった」より「してよかった」ことの方が圧倒的に多いんですよね・・・
う〜ん、直感っていうか第六感って結構
当たってる時ありますよね。何だか気になる
っていう感覚。私もあれやこれや先のことを
考えて結局、それに従わないで後悔するって
いうのありますねぇ〜。(^^)
自分の気持ち、直感的な思いに素直に耳を
傾けたいものです。
私がその状況だったら、やっぱし
Umiさんと同じ行動にでたかなぁ…
同じように考えて…
後から、あの時こうしておけばってありますよね
自分の心の声、ちゃんと聞かないと駄目だなぁって
あらためて思ったです!
そうでしたか…、そんなことがあったんですね。
毎日、またいつでも会える人ならなおさらですよね。
後から後悔して悔しくて悔しくてどうにもならないことがあまりにもたくさんたくさんあります。
だからこそ今同じ時を過ごしている人たちがどんな人だろうと大切にしなきゃな、
と思うんですけど。
>その相手が明日も又ここに存在してるという保証は
誰にとってもひとつもない。、
そのたったひとつのことの大切さに比べたら、
それ以上に気にしなければならないことなんて
なにひとつないのだ。
それに比べたら、そんなことは何もかも、
みんなみんな些細などうでもいいことなのだ、きっと。
…その通りですよね。
とても貴重な、とってもいい事だと思いました。
そう思って生きていきたいですね、毎日。
いろんな時 何か自分に都合の良い理由をつけて納得してきた。
本当はそれではいけないときでも・・・
いろんなとき、見て見ぬ振りをする事を、身に着けてきた
本当はそうじゃないときも
自分の気持ち通りにする事って難しい・・・と思う
私は…放心状態になった人をどうしていいのかわからずに、ひたすら普通に接することでそれを乗り越えました。
落ち着くまでは毎日・毎時間、生きているのか気になって神経すり減らして…
その時のその人に対して私ができたことはたったそれだけだったけれど、それだけでその人が月日をかけて平常心に戻ってこれたことが嬉しく思いました。
その時にそうできたことを今でもよかったと思ってます。
>今そうしようと思ったときに
とUmiさんが書いてくださることでどれだけ私の心が救われたかわかりません…
ありがとうございます。。。
う〜ん…
難しいことなので、色々語るのは避けるとして…
それ以上に気にするべき事はあると思いますよ。
それは…
Umi さん自信が、明日も Umi さんらしく
そこに存在する事…。
他者を通して感じた事を、
自分にも当てはめる事を忘れないでくださいね。
Umiさんの考え方、そして多くの方の
コメントに同感です。
身近な人や、かかけがえのない人を
なくした時に悲しみと一緒に後悔が
生まれます。
だから「お悔やみ申し上げます。」
と言うのでしょうね。
彼の死はUmiさんによって人の心を
動かしました。
顔も名前も知らない彼に
「ご冥福をお祈り申し上げます。」
私の幼馴染も、母を自殺という形で亡くしました。
実家は田舎なので、うちの家族も近所の皆さんも
それはもう大きなショックを受けて、私の母も数日間は
眠れなかったようです。(コレ私も・・・・)
生前にどんなに手を尽くしても、誰かを死で失ってしまうと
自責の念が起こると言います。
でも、自分の身近な人の「死」を経験することは
大切なことだとも思います。すごく辛いんですけど
その辛さが大切なのかな〜って。
ゲームみたいにリセット出来ないのが人間の人生ですからね。。。
何か凄くわかる気がするのに、なのに、私はつい最近まで『死』というものを実感したことがなくて。おじーちゃんやおばーちゃんも長生きして90超えての死だったので、老衰という形で周りが安らかに眠れて良かったねって言っていたので。ただ、私にこみ上げて来るものがあったんです。
初めて人の死に出会ったのは8歳の頃。従兄弟のおにーちゃんの死だったんですが、自殺だったんです。子供ながらに何か感じるんですよね…大きくなって話を聴くと事実そうだったんです。嫌な予感があたったという感じでした。
親や親戚はどう思ってるかわかりませんが、私はあの頃何にも知らずに棺おけに眠るおにーちゃんの顔を見て花を添えたんです。だけど真実を知ってからはどうしても、亡くなった方の顔が見れなくなってしまって、、、、Umiさんの感じたことを読んでいたら、私もいつか後悔してしまったらいけないから、現実から逃げずに生きたいって思いました。
内容が内容なので。。。
生きていると沢山の事に遭遇して、沢山の辛いことに直面します。
その場面場面で、現実に目を背けずに自己消化していくことが大切だと思います。
>>>ウルピカさん
うんうん、そうだよね。
わたしもそうです。
でも結構、しないで終わらせてしまいたくなることが、
多々あったりします.......。
>>>love-nyaさん
直感的な重いに耳を傾けること...大切ですよね。
その解釈を間違って生かせずに終わることも
結構多いんですけど.....。
>>>ラビさん
そうしようと思ってても
いざその場になると....ってのも結構ありますよね。
どんなとき、どんな場にいても、自分自身の中の
真実に従えるようになりたいです。
むずかしいけどね...。
>>>JOOさん
>だからこそ今同じ時を過ごしている人たちがどんな人だろうと大切にしなきゃな、と思うんですけど。
そうなんです。わたしもそう思います。
特に、「今同じ時を過ごしている人たちがどんな人だろうと」ってとこ。
この人〜だから大切にする、この人〜だから大切にしなくていい、っていうんじゃなくて、
すべての生ある存在を同等に大切にできたらいいな、と思います。
いつもありがとう、JOOさん。
>>>もみじさん
ほんとにもみじさんの言うとおりです。
わたしもそんなふうな対処をいっぱい身につけて
生きてた気がします。
口でそうしたいと言っていても
いざというとき本当にそうできるかといったら、
絶対です!とは言えませんよね...。
>>>サラママさん
こちらこそ、サラママさんの体験を
聞かせてくれてありがとう。
>>今そうしようと思ったときに
わたしも大切にしたいと思います。
いつも忘れないで、
大切にしていれたらな、と思います。
すごくありがとう、サラママさん。
>>>Ashさん
そうですね、わたし自身にあてはまりますね。
はい!明日もあさっても、わたしらしく
存在して、生きます!
どうもありがとう、Ashさん。
>>>KAZUさん
>だから「お悔やみ申し上げます。」と言うのでしょうね。
なるほどぉ....。
なんか、納得しちゃった...。
でも、できれば、できる限り後悔は
最小限で終わらせたいもんです。
KAZUさんのコトバを読むと
なぜかいつも安心のようなものがあります。
天性のヒーリング体質なのかな?なんて思ったり..。
ありがとう、KAZUさん。
>>>ラムネさん
それはショックですよね...。
わかります...。
>でも、自分の身近な人の「死」を経験することは
大切なことだとも思います。
身近なところで死を体験することによって、
生の貴重さや大切さが、はじめて実感として
わかるんですよね。
今の子供達が、生や死に対する感覚が希薄な子が多いのは、
そういう子は死に接する場面が全くなかったせいかもなぁなんて
ちょっと思ったりもします。
>>>nanaさん
なんかnanaさんも、子供の頃からすごい体験されてますねぇ。
やはり「自殺」っていうのは
いろんな意味で、ショック大きいです。
>私もいつか後悔してしまったらいけないから、現実から逃げずに生きたいって思いました。
そうですね。わたしもそう生きたいです。
でも、現実に直面するって、すごく勇気もいるし、
強さも必要なんだよね。
すこしずつでも、現実に向き合っていられる強さがある自分に
なっていけるとといいですね、お互いに。
ありがとう、nanaさん。
>>>しっぽなさん
そうですねぇ。
そういうこと、とても大切だと思います。
いろんなできごと、ちゃんと受け容れて
なるべくすみやかに消化して
自分の一部として生かしていけたらいいと思います。
ありがとう、しっぽなさん。
お久しぶりです。
辛い思いをなさったのですね。
時間薬って言葉があると知ったのは数年前です。
時間の経過とともに傷の痛みが少しは癒されるのですね。
生きているといろいろな事がありますが
頑張って生きていきましょう(^-^)
>>>くーちさん
おひさしぶりです!
時間薬かぁ....なるほど、よく言ったもんですねぇ。
ありがとうです!くーちさん。
初めまして!
こんにちは!
TBありがとうございます。
つらい思いをされたのですね。
過去は変えられませんが、Umiさんが彼の死によって気付いた"気づき"によって、これから先、Umiさんに救われる人はきっといると思います。
それが”大きな救い”でも”小さな救い”でも、大きさは問題ではありません。
Umiさんが学ばれたことを、これからのUmiさんとUmiさんのまわりにいる人たちが幸せになれるよう生かしていけばいいのだと思います。
心の底にたまった澱のような気持ちは、ドンドン吐き出して浄化していってくださいね。
人間は一人で超然と生きているわけではなく、人に傷つき、人に癒されながら生きているのだと思います。
>>>w/aさん
こんばんわ!
きていただいてうれしいです。
人に傷つき、人に癒されながら生きている...
うーん、いい言葉ですね。
そのとおりですね。