August 01, 2005

波のわらう音はね........



「波のわらう音」という、タイトルついてのお話を

ちょっとしようと思います。





ともだちは海のにおい」という本があります。
工藤直子さんが書かれている童話です。

くらい夜のなにもない海で出逢ってトモダチになった、
さびしいくらい静かだと、
誰かとビールを飲みたくなるくじら"
と、
さびしいくらい静かだと、
誰かとお茶を飲みたい気分になるいるか"

すてきな関係性を描いた物語です。

その中に、すごく好きな詩があります。
こんな詩です。


  

「うみとなみ」         くじら作・子守歌のような詩


うみのうえには なみがある
なみのしたには うみがある
うみと なみは いつもいっしょ
うみは なみ
なみは うみ



ちいさな なみがうまれても 

うみは よしよし

おおきな なみがうまれても 

うみは よしよし

なみが ないても よしよし

なみが おこっても よしよし

なみが わらえば とてもよしよし

うみは なみ
なみは うみ


うみにうえには いつも なみがある
なみのしたには いつも うみがある


いつもうみとなみ



.......工藤直子著「ともだちは海のにおい」〔理論社)より抜粋




なみがちいさく生まれても、
海はよしよしと、
そのまま受け容れて喜んでいて

なみが大きく生まれても、
海はよしよしと、
そのまま受け容れて喜んでいて

波が泣いても海はよしよしと、
それもそのまま受け容れていて

波が怒っても、
海はやっぱりそれもよしよしと、そのまま受け容れている。


そして、波が笑ったら、
海は「とてもよしよし」と、思うのです。




わたしも、いつも、
自分のまわりのもの、出逢うひとのすべてを、
こんなふうに「よしよし」と受け容れながら
喜んで見ていたい、とか思うわけです。


その相手が自分のことをあまり好きじゃなくても、よしよし。
その相手の存在が自分と全く相容れなくても、よしよし。
わたしの価値を全然認めなくても、よしよし。
批判しても、よしよし。
去っていくなら、それもよしよし。
好きになってくれて、さらに気持ちを共有できたら、とてもよしよし。
みたいなね。


その人やそのモノが今どんなカタチをとってて、
どんなことをしてようと、
そのまま否定せずに置いておいて、
よしよし、それでも大丈夫だよという肯定の中にいたいな、という、
そんな気持ちが、いつもある。


あっちへふらふら、こっちへふらふらと
その時々でいろんな方にそれるんだけれど、
わたしのモノの見方の根底の、いつも戻って来たい中心の部分には、
こんな思いが、いつもある。
それは別に、人のためとかいう高尚なもんでは全然なくて、
その方が自分が、在り方として楽だからだよ。



わたしの中での、波のわらう音のイメージは、
かわいい声やすてきな声や
大きな声やか細い声や、
汚い声や恐ろしい声や
優しい声や鋭い声、
ありとあらゆる種々雑多な声が入り混じって、
みんなそのまま、そこにいていい、
なにがなんだかわからないけど、
なんか耳を傾けてるうちに、
いつの間にか、ここちよく調和した音楽になってくるような、
そんな音のイメージなんだよ。










  

Posted by seapink16 at 00:00Comments(50)TrackBack(0)clip!